「有意義な時間を過ごそう」というけれど
僕はこの言葉は苦手だ。
そもそも僕はやりたいことがない。
趣味がない。
やりたいことがない人が過ごす「有意義な時間」ってなんなんだろう?
「今日から3連休なので有意義な時間を過ごそう」
不思議なことに僕のなかではこの言葉が
「今日から3連休なので有意義な時間を過ごさなければいけない」
に置き換わる。
少しずつ小さなやりたいはある。
しかし「せっかくの3連休なのだから」という言葉に対してその小さなことが小さすぎて有意義ではないと否定してくる。
否定しているのは自分自身だとはわかってはいるものの、改善が見込まれない。
やりたいことってやっぱりないな。
多くの人もそう思っているんだろうけど。
だからこそ「やりたいことをみつける」的な本が書店においてあるんだろうけど。
「夢、希望レベルでない」のではなくて、「プライベートな時間でやりたいことが特にない」というレベルでない。
なのであえて何もしないという行動に出てみる。
座って目をつぶって何もしない。
禅とか瞑想とかマインドフルネスとかそんな大したものではない。
それは禅とか瞑想とかマインドフルネスをしているになるので何もしていないではない。
ただ座るだけ。
それは結構心地よかったりする。
学生時代の夏休みも苦手だった。
もちろん学校に行くよりは夏休みのほうがいいのだけれど、いざ夏休みになるとなにもすることがないという恐怖感に襲われる。
よくベットの上に倒れて何をするでもなく寝るわけでもなく天井を見つめていたことが良くある。
よくよく考えてみたらその頃から僕はやりたいことなんてなかったのかもしれない。
でもやりたいことがないことがかっこ悪いと思っていた。
だから何か趣味を作らなきゃ!と焦っていた。
それでやっていたのが楽器だった。
ベース、ギター、ピアノとやっていた。
楽しいと思うことはあっても、趣味を持たなければならないと思っていてやっていた趣味なのでやっぱり苦しいことが多かった気がする。
今は楽器は触ってない。
となると無趣味となる。
テレビは好きでもないのでYouTubeを見てたりもするけど、永遠とみれるわけでもない。
有意義な時間を過ごすとかやりたいことを見つけるというのは自分にとって脅迫にしか感じない。
何もせずに穏やかに時間を過ごせたら何よりだと思う。