水溜まり。

日々思ったことを書いてみる

釈迦「信仰なんてするな」仏教徒「ははぁ~(崇拝)」

blog.livedoor.jp

 

こういったネタは大好物です。

確かに釈迦は信仰を勧めていたわけではなく、むしろ良くないことしていたのに仏教はすっかり「仏を信仰」という形になってしまったと思う。

でもしょうがないんでしょうね。

 

釈迦だって教えを広めようとしていたわけで。

でもその教えというのは結局どういうことなんだと追求していく人はどうしても出てきてしまう。

自分もそう思ってしまう。だから仏教の本を買いあさっている。

でも釈迦が言うには絶対なんてないし、真理ってものもないといっているのだから、釈迦の教えが絶対だということにならない。

じゃあ何なんだよ!教えてくれ!俺は何を頼りに生きていけばいいんだあああ!っとなってしまう。

でも釈迦から言わせてみれば「それ!そういった執着がいけないんだよ!」ってことなんでしょうけど。

でもそれって

釈迦の教えがある→その教えを真に理解し従おうとする→それにすがるのはNG。

ってなことなわけでなんだか禅問答って感じがする。

やっぱり人は「正解」を求めたがるんでしょうね。

 

大乗仏教への批判的な内容も書かれていましたが、大乗仏教は入口としてはとてもいいものかなと思う。

大乗仏教って「結局修行をしている人だけしか救われない、ということは坊さん以外は救われないじゃん!農業とかやっている俺らダメじゃん!」という人を救いたいがための考えなわけで。

そこを起点に仏教に興味をもって仏教の教えに触れていけばいいんじゃない?という意味では意義のあることなのかなと。

大乗仏教はわかりやすい。

究極、南無阿弥陀仏さえ唱えときゃいいなんて宗派もある。

分かりやすい!

執着とか空とか瞑想とかより全然分かりやすい!

 

勉強とか教養とかもそうだけど、いきなり難しい話、いきなり原典から入ったって無理。

わけわからんで終わってしまう。わけわからんで眠くなってしまう。

だったら少し本来の思想、考えからずれていてもいいから、そこから入っていくのでもいいんじゃないかと思う。

分かりやすい本から入るべき。動画でもいい。

だけど分かりやすいものって若干ずれがある。

下手したら大きくずれてたりする。

でも入口に入らないとそもそも始まらなかったりする。

この入口をふさぐ必要はないが、原理主義な人は結構ふさぎがち。

「この人の言っていることはデタラメだ!」という。

たしかにデタラメかもしれない。

下手したら嘘ついているかもしれない。

でも、まったく興味持たなかった人が興味を持つようになった、というのはとても大切なことだとおもう。

いわゆるニワカが増えるわけで、そのニワカもデタラメ、嘘の部分で盛り上がってしまって本来の思想、考えにたどり着かなかったりすることが多いけど、少なくともその中から数人は本当に伝えたい思想考えに興味を持つことができる。

分かりやすい情報がなければその数人すら本当に伝えたい思想考えにたどり着かない。

 

いまの仏教は正直元の仏教とは別物だと思う。

でもそれを全否定するのもちょっと違うと思う。

 

勝手な思いですが、イエスキリストもそこまで自分を崇拝してほしかったわけじゃないんだろうと思う。

そんなことよりも「隣人を愛せよ」とかそういった道徳てきなことを大切にしてほしかったんだけろうけど、あまりにもカリスマ性があったんだろうね。

あまりにもカリスマ性があって、伝説の人になってしまって。

その伝説が人から人へと伝言ゲームされて行って。

しまいには神になっちゃった。

ブッダは仏になっちゃった。

そしてそれが聖書なり経典なりになっちゃったんだろうな・・・

FINAL FANTASY 10 プレイ【1】

ちょっと前にFF10の曲「彷徨の炎」が聴きたくなって久しぶり聴いてみた。

なぜこの曲なのかよくわからないが。

曲を聴いてたらFF10をやりたくなったのでゲームを購入。

PS2では持っていたけど、今はもう本体もないしSwitch版で購入。

X-2も入っているので、その後のFF10も楽しめたらいいなと思います。

 

FF10は既にやったことあるし、実況動画でも見たことももあるしで当然ストーリーとかはわかってはいるのですが、このFF10という最強のRPG(個人的に)を改めてじっくり堪能していこうと思う。

特にFF10の中で作り出されているエボンの教えという宗教について自分なりに細かく分析して、理解を深められたらなと思う。

 

とりあえずユウナが召喚士となって寺院から出てきたところまでプレイ。

 

※以降ネタバレ注意

 

「最後かもしれないだろ、だから全部話しておきたいんだ」の後に映し出される夢のザナルカンドでバハムートの祈り子がいきなり出てくる。

色々知ったうえで見ると面白いですね。

いきなりキーパーソン出している、でも初見だと何とも思わない、というのが面白い演出だと思った。

当たり前のように夢のザナルカンドとも書いていますが、初回プレイではそれもわからないから、というか何回かプレイしないとここら辺良く分からないですよね。

実況動画の解説とかみて「あ、夢のザナルカンドと1000年前のザナルカンドって違うのね」というのがわかりました。

FINAL FANTASYはこういうとこ難しい。

 

夢のザナルカンドからスピラに行く前にちょっとだけシンのなかにいる父の姿が映るシーンになる。

ここで操作ができる(といってもBで下に下がるだけ)わけですが、こんなものがあったことすら忘れていたというか、まったく記憶にありませんでした。

ストーリーや細かい設定までわかるようになるとこの演出が面白いものになりますね。

まさかこの時点でシンは父であることをほのめかすシーンがあったとは。

 

個人的に忘れがちですが、夢のザナルカンドでティーダがシンに飲み込まれたあと、海底遺跡でリュックに会うことになります。

この時のリュックの対応、優しすぎて涙でますね。

しかしリュックの衣装がなんだエロい。カメラワークもいちいちエロい。

攻略本のアルテマニアオメガでは「かなり誤解を招きそうなデザイン」と書いてあるのが面白い(笑)

アニキの言葉が伝わらないのに何とか伝えようと必死なのも笑える(笑)

 

ビサイド村に行ってワッカに会う。

何もわからないティーダに親切にしてくれるワッカには泣けますね。

エボンの常識を忘れた(というか知らない)ティーダに投げ出さずに一から教えるのは骨がいるだろうけど嫌がらずに教えてくれる。優しい。

 

そのあとユウナが寺院に入ってから1日経った、でも掟だから入ってはいけないという話になる。

この掟ってところ、とても宗教的ですよね。

ティーダはおきて破って中に入っていってしまうわけですが、ユウナが召喚士になったという夜の宴で、ユウナの近くにいるおばあちゃんが「掟破りめ!ユウナに近づくでない!」と怒っています。

ティーダは純粋に「人が危機にさらされているのであれば助けてあげるべきだ」という考えのもとの行動で悪いことじゃないんですけどね。

そのくらいエボンの教えというのは常識としてスピラの人たちになじんでいると言えます。

ワッカはそのエボンの教えに割と忠実なほうですが・・・

ユウナがなかなか出てこないというところでティーダが「助けなきゃ!」といって掟を破って進むところをそこまで止めに行かないワッカ。

その点はあまり気にしないのかな?

どうなんでしょうね。

睡眠って謎

最近よく眠れなくていつも夜12時くらいに寝て朝5時くらいに目を覚まします。

このまま起きてもしょうがないから7時までベットで悶々としながら横になっています。

 

昨日はなぜか夜9時にすごく眠くなってそのまま寝てしまいました。

この時間に寝たら3時くらいに起きちゃうだろうなと思っていたら、朝8時くらいに起きました。

 

しかしなぜそんなに眠かったのか、眠れたのかが良く分からない。

昨日は図書館に行ってFF10を中古屋さんで買って久しぶりにFF10プレイしたというだけど、大して運動もしていないのですが、不思議とぐっすり眠れました。

睡眠って謎です。

 

「天動説は正しくなくて、地動説が正しい。」は正解か

天動説は正しくなくて、地動説が正しい。

 

学校でそう習ってきて、その考えで生きてきました。

 

でも、「地動説が正しい」というのはどうも違和感を感じるようになりました。

「地動説が正しい」というのはそういう見方をしているだけであって、別に天動説でもいいんじゃないかと。

確かに地動説のほうが分かりやすい。

とてもシンプルでそう考えたほうが軌道の計算もしやすいだろう。

でもこの考えに至る発端としては「神様が作る世界はもっとシンプルなはずだ」という発想から発展してきた考えである。

たしかに、地動説のほうがシンプルで公式にもしやすいだろう。

 

でもこんな動画がある。

youtu.be

この動画は天動説で考えた場合の惑星の軌道である。

まじまじ見ていると曼荼羅模様にも見えて神々しくないだろうか。

僕はそんな風に見えてしまった。

 

なので「神様が作った世界なのだから」という思想で考えるならば、「シンプルであるべきだ」なのか「複雑で神々しいものだ」なのかは個々の判断でよいのではないだろうか。

 

しかし、今は科学の時代。

宇宙にも人が行くようになった時代に、天動説は一切不要で地動説の考えだけでいい。

と何となく生きていたわけだがこの本を見て衝撃を受けた。

https://amzn.asia/d/bg1Rdtt

 

この本ではある場面では天動説の座標系のほうが良いということが書かれていた。

 

たとえば小学生の教科書にも載っているような以下の図。

夏至冬至春分秋分太陽南中高度角度と住宅屋根軒先庇縁側日当り | 北島建築設計事務所から抜粋)

 

この絵をみると天動説の考え方で書かれている。

じゃあ地動説だとどんな絵になるのかわからないが・・・わかりづらくなりそうである。

 

あと、詩的な表現として「太陽が沈む」ということをよく目にすると思う。

しかし、太陽が沈んでいるという表現は太陽が動いているような考え方なので天動説である。

地動説にのっとるのであれば「地球の自転によって太陽の光が当たらない場所に移動して」と表現するべきである。

でもそんな表現にわざわざしたらおかしな目で見られる。

といったことが本かかれていて思わず笑ってしまった。

 

ということで、地動説は正しいではない。

場所と状況によって使い分けたっていい。という考えでいいのだと思った。

 

Xでこんなポストがあったのですが、まさにこの話だなと思った。

 

地動説ですら「正解」とは言えない。

それは「間違いだから天動説だ!」というわけではない。

見方によっては地動説が都合いいこともあるし、天動説の考え方を使って生きている部分もあるのだから、なにが正解と言わなくてもいいということだ。

 

この辺のニュアンスがいわゆる「すべての事象に「正解がある」」ということなのだととらえています。

といっても人間は正解がないと不安になってしまう生き物みたいなので、そうなってしまうのも無理もない話ですが。

 

医学は万能じゃない

科学は万能だと思われている節がある。

医学も科学のうちの一つなので医学も万能だと思われている節がある。

 

がん治療には限界はある。

医者だって治せるものと治せないものがある。

現代でもがんが広まったら基本的には絶望的らしい。

それでも抗がん剤を試す価値はあるだのないだのでもめる話もあるらしい。

 

人間はいずれ死ぬ。

抗がん剤でなんとなったとして、手術で何とかなったとして。

それでも10年、20年、もしくは5年なのか1年なのか。

いずれは死ぬ。

今書いている僕でも、もしかしたら数分後に死んでいる可能性がある。

もしかしたら100歳まで生きられるかもしれない。

でもそんなの全く分からない。

平均年齢が80歳以上だとしても、僕個人がいつまで生きられるかなんて全く分からない。

 

抗がん剤や、治る見込みのない手術をしてそれでも可能性があるのであればなんて苦しむのであれば、もうあとちょっとの期間を穏やかに生きるしかないのではないだろうか。

医者が他にも良い治療を隠している、この病院は良くない病院だからもっと良い病院を探そう。

とかいろいろやって苦しむよりは今日食べるものをゆっくり味わって感謝するのが良いのではないか。

 

こんな達観した言い方しているけど。

自分自身がその身になったら同じように騒ぎだすのかな。

でも仏教的思想で考えるとそれは執着であって、その執着こそが苦しみの元なのだろう。

「もっといい治療法がある!」「もっといい病院がある!」と執着して、より良いを求めていくと下手したら逆に悪い治療方法に引っかかるかもしれない。

 

でもその治療方法がいいのか悪いのかも良く分からないから困ったものである。

それをやったからこそ1年も生き延びられた!なのか。

それをやったからこそ1年しか生き延びられなかったのか。

良く分からない。

 

僕がこう思うのは医学が万能ではないということを学生時代にわかったからです。

まあ生死の問題に関わったわけではないので大げさな話ではないのですが。

僕は皮膚が弱いのか学生時代によく体中を搔きむしっていました。

体全体が炎症状態。

手が特にひどくて、表面の皮がなくなるまで掻いていました。

「これは何かの病気だ」

と、親が思っていて、それにつられて僕も思っていたわけですが、いろんな病院に行きました。

結論としては医者は直してくれませんでした。

この言い方は変ですね。

そもそも病気というものと判断されなかったといったほうがいいですかね。

医者の対応は概ね2通りに分かれました。

1.とりあえず薬(ステロイド)を塗って様子をみましょう。

2.「掻いているあなたが悪いんですよ。」と言われる

どちらもいいも悪いもあるとは思います。

 

一つ目ですが、ステロイドは炎症は直してくれますが、痒みはなくしてくれません。

僕と親は痒みをなくす薬を要求しました。

飲み薬ももらったことありますが、大した効果はなかったです。

なので、薬塗って炎症治ってまた掻いての繰り返しです。

 

ふたつ目はある意味親切というかまともなのかもしれませんが、この痒みは病気かなにかで、治せるものだと思い込んでいる僕にとっては「掻いているあなたが悪いんですよ。」と言われるのはもはや責任放棄だとすら思っていました。

 

なのでいろんな病院に行きました。

たくさんの病院にいって、基本的には1か2の診断をされました。

 

んで、最終的にどうなったかというと、皮膚科で有名な医者(名前忘れてしまいましたが、一般的にも知られている人でした)に見てもらうことになりました。

結果、言われたことは「これは治せません」と言われました。

2つ目の診断と似たような話ですが、ちょっと違います。

医者が「治せません」と言ってくれたのです。

それを言われた当時は特になんとも思わなかったのですが、今思えば衝撃的な内容でした。

医者が「治せません」というんですからね。

今までそんなこと言ってくれる人はいませんでした。

もう少し話はあって「治すことはできないので、一生付き合っていくしかないです。なるべくマシになる方法を考えていきましょう」といわれました。

ここでようやく僕はこの痒みを病気としてとらえることをやめました。

ある意味執着だったのかもしれません。

「これ病気なんだ!これは治るはずなのに医者は何もしてくれないんだ!僕は被害者なんだ!」

といった思いが強かった気がします。

実際、痒みというのは一切なくなったわけではないですが、良い傾向にはなりました。

いまでも皮膚を掻いて炎症になることはちょくちょくありますが、学生時代よりはだいぶマシです。

 

そんなこともあって、僕は医者に対する「万能」といった意識がなくなりました。

少し行き過ぎて信頼していないというところもありましたが・・・

あくまで万能ではなく、無能というわけではないです。

何かの症状があって病院に行って改善された時には感謝でしかありません。

 

この万能感はどこからやってくるのか、主にマスコミ、メディア関係なんでしょうが、今の医学は万能的なイメージがなんとなくついてしまっている。

それは個人の問題かもしれないけど気を付けないといけないと思う。

 

皮膚のかゆみとがんの話を同等に話すなと怒られるかもしれない。

僕ががんだといわれてあと1年の命ですといわれたら、僕も「もっといい治療法がある!」「もっといい病院がある!」と執着するかもしれない。

そしてこの記事を書いたことを懺悔するかもしれない。

この世に真理があるのかどうか。

この世に真理があるのかどうか。

僕はあると思っています。

なぜなら「この世に真理はない」と言ってしまうとそれ自体が真理になってしまってパラドックスが発生してしまうからです。

ということでこの世に真理はあります。

しかし、人間がその真に触れることができるか、到達できるか。

というのはまた別のはなし。

どうやらそれはできないんだろうなと思う。

 

 

FF10の中の宗教

※FF10のネタバレあります。

 

僕はそんなにゲームをやらないほうなのですが、その中でもとても好きなゲームとしてまず挙げられるのがFF10です。

ストーリー、ゲーム要素、世界観、キャラクター、音楽。

何をとっても100点満点だと思っています。

設定がとても細かくされているので、何度見ても新しい発見があったります。

 

そのFF10で見事だと改めて思ったのが、エボンの教えという形で一つの宗教がしっかり出来上がっていること。

宗教に従うもの、反感を抱くもの、教えを破っている司祭。

「エボンのたまものですね」なんて挨拶がしっかり溶け込んでいるのも面白い。

 

そんなFF10ですが。

エボンの教えはこの世界では常識なわけで。

それに反逆することは反感を買います。

アルベド族はエボンの教えの中で使用してはいけないといわれている機械を使って世間からかなり嫌われています。

 

そしてこの世界ではシンを倒してナギ節を作ることが希望とされています。

シンを倒すためには究極召喚が必要です。

その究極召喚をユウナレスカから手に入れるのが当たり前とされているわけですが・・・

主人公ティーダはそれを倒してしまう。

 

これってティーダが主人公だからそんなに感じないけど、

一般の人からしたらえげつない悪者ですよね。

ナギ節を作る唯一の手段とされていると思われているのに。

手に入れる手段をなくしてしまったのだから超やべえ人でしかない。

 

僕は勝手ながら人は宗教の中でしか生きられないと思っています。

現代の世の中もそれは同じで、

・努力したら幸せになれる

・お金を手に入れたら幸せになれる

・科学が発展すれば幸せになれる

・好きな人と入れたら幸せになれる

といった宗教の中で生きていると思います。

 

そんな中でティーダみたいな人が現れたらSNS大炎上だろうなと。

現代でいうユウナレスカがなにになるのか、例えるのはとても難しいな・・・

でも例えば。

例えばですよ。

そんなこと全く望んでないですが。

天皇の一族を根絶やしにするとか。

これやばいですよね。例えだと言ってもやばすぎる。

ユウナレスカやっちゃうくらいやばいですよね。

で、その犯人がこれで世界が平和になるんだ!とか言われてもわけわからないし、絶対許されないですよね。

 

でもティーダってそんなようなことをしたと思うんですよ。

それくらいやべえことしたんだと思うんですよ。

 

あれ?でも、何でユウナレスカを倒したんだっけ?

ちょっとよく覚えていないけど、ユウナレスカを倒さずにシンをエボン・ジュを倒すって世界線はないんだっけ?