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山田礼司が大事なことを言っているので自分なりに整理。
会ったこともない人に文句をつけたくなる人は2つの問題を抱えている。
1.相手を知らない
どうせこんな奴だろうというのが羅列されている。勝手なイメージ象がある。
2.その人の人生の問題
上手くいかなかった何かがうまくいっている感じに見えるやつに対して即攻撃モードに入る。
それによって報われなかった気持ちを解消したいという思い
「2.」のこれがとても印象強かった。
ここで言っている「上手くいかなかった何か」「報われなかった気持ち」というのに注目したい。
何がうまくいかなかったんだろう?
何が報われなかったんだろう?
仮にみのが出した邦楽通史の本が成功、報われた結果なのだとしたら彼らにとってなにが問題なのだろう?
これは知識を追い求めた知識欲の結果なのかなと思う。
動画内で山田礼司も
ディグればディグるほど知識が入る
と言っていて知識欲って際限なく続く。
僕は子供のころ図書館の資料を全て知り尽くしたら最強だろうな・・・なんて思ったことがある。
そう思うたびに本に立ち向かったことが何度かあるが、何度も挫折した。
1冊読むだけで重労働だから。
読むだけではいけない。それを頭に入れないといけない。
頭に入れたうえで、正確にアウトプットしないといけない。
ここでいうアウトプットは口でも文章でも同じだ。
そしてそのアウトプットが分かりやすくないといけない。
分かりやすくないとどんなに内容が正確で、正しくて、真実であっても見向きもされない。
でも知識ってあるととても印象良く見える。
僕は知識がないほうだからなんでもかんでも知識(ウンチクとか、雑学とかそんな感じの物)をもって会話できる人がうらやましくいる。
というか憧れでもある。
なので、僕は頑張った時期がある。
僕もああなりたい!
会話の中で知識を披露したい!
しかしまあことごとく失敗するわけですよ。
まず知識を入れるっていう作業。
これがもう勉強でしかないんですよ。辛いんですよ。
英単語を覚える、歴史の年号を覚える、漢字を覚える。
これらと同じ作業をしていると感じている。
なのでこの知識を入れるという作業が苦痛でしかないわけです。
つまらないのです。やりたくないのです。
なんとか覚えたとしても会話で伝えるときに正確にアウトプットができない。
なんなら「それって○○じゃない」と指摘されるほど。
せっかく頑張って得た知識を披露しようとするどころか、こちらが学ぶ側になるという残念さ。
そのたびに恥ずかしい思いをする。
逆に山田礼司、みのは知識の怪物みたいなものだと思う。対極にいると思う。
山田礼司は漫画のYouTubeで良く見たことあったのですが、音楽にも詳しいんですね・・・
周りの人も山田礼司、みのほどでなくても知識を持っている。
なんでそんなことまで知っているんだ?というくらいにみんな知っている。
僕はほとんどないので立ち往生。
みんな努力しているんですかね?
家で必死に勉強しているか・・・
でもそうは思えない。
何が言いたいかというと、知識って手に入れるのって辛い。
なんか「がんばる」っていう部分が必要な気がする。
ある程度は楽しんで得られるんだけど、ある一線を越えると頑張って手に入れないといけない苦痛になってくるものだと思う。
そうまでして手に入れるのは「知識があるとなんかこいつ知っている!」という風に見られる見栄みたいなものがあるのだと思う。
その一線は人によって異なる。
フルマラソンでいえば僕は1km先で苦しんでいるけど、山田礼司、みのみたいな人は42.195kmを超えても「まあ苦しいけど楽しいよね」なんて言ってられるような人なのだろう。
知識って怖い。
毒にもなるし、薬にもなる。
でも入れすぎると中毒になる。
求めすぎて収拾つかなくなる。
そんな煩悩なのだと思う。