子供の頃よくやったこと。
手を動かしてみる。
親指を動かそうとして動かしてみる。
親指が動く。
あ、自分の意志で動いた。
それがなんだか不思議に思った。
その動かせといった意志はどこからやってくるのであろうか?
その意志はどうやって作られたのだろうか?
大人になってやってみる。
手を開いて親指を動かそうとすると親指が動く。
中指を動かそうとすると中指が動く。
人差し指、薬指、小指。
全部自分の思った通りに動く。
逆に何もしないで手を眺める。
じっと眺めて何もしないようにする。
そうすると、ピクリと動いたりする。
ちょっと震えたりする。
自分の意図とは別に動いたりする。
それが面白かったりする。
でも自分の意図で動かないのは当たり前で、
自分の心臓とか細胞一つ一つも自分の意図でどうこう動いているわけじゃない。
なら、指がちょっと動くくらい、自分の意図とは関係なく動いたくらいどうってことないのかもしれない。
じゃあ、どこからどこまでが自分の意図なのだろうか?
この記事を書くのにキーボードをカタカタ打っているわけだけど、
あるていどブラインドタッチでキーボードを打てるので、概ね勝手に動いていたりする。
親指を下げる、上げる。次に人差し指を少し右にずらして下げる・・・
なんて全く考えていない。
なにかに操られるようにして動いている。
変換に何度も失敗するとイラっとしてスペースの親指のキー入力が強くなった。
この時にも強く打とうという意志があったのかもしれないけど、
ここでスペースキーめがけて親指を強く打とうという命令をしようなんて思いはなく
勝手に強く打ったようにも感じる。
自分は思った以上に自分の体を思った通りに動かせていない。
そんなようなことを武井壮が言っていたような気がするけど、まさにそうだと思う。
そうなってくると自分の自由意志とは何か?なんて哲学的な話に対して、自由意志なんてないというのも納得できるような気がする。
僕だけだろうか?
手のひらを顔の前にもってきてじっとすることができるだろうか?
勝手に指が曲がることはなくても、すこし指が左右に動いたりしないだろうか?
なんかそれを眺めていると勝手に動いている別の生き物のようにも見える。
なんとなくそれが面白いと思った。