私は型というものを求めていた。
自分の軸となる型である。
しかし、どうやらそのようなものなないと知ったのはおよそ最近である。
学生の時代にはこの型というものを探すためにいろいろやった。
いやみんなが思うほどいろいろはやっていないかもしれない。
私なりにやったということではある。
しかし、型を探すためにいろいろやった結果、結局何一つとしてハマるものはなかった。
僕は一体なにがしたかったのだろう。
型があるととても楽だ。
型があれば迷ったらそこに行けばいい。
それを信じればいい。
そこに託せばいい。
そこに依存すればいい。
しかし、そういったものがないと迷いが生じる。
僕はどうしたらいい。
なにをこれからすればいい。
そんな迷いがずっと付きまとう。
型がないということは自由だ。
なんでもできる。
しかしあまりにも自由すぎる。
その可能性は無限である。永遠である。
その可能性の広さが僕を恐怖に落とし込める。
なにを選択すべきか。
およそ決める基準がない。
型さえあればなんて思ってしまう。
そうすると私は誰なのか?と考えてしまう。
どんどん沼にハマる。
沼どころではない。
宇宙の果てに放り出される。
帰れなくなる。
いや、帰れなくなってしまった。
今のところ唯一頼りになりそうなのは本である。
本はおおよその地図が描かれているようだ。
しかしその地図は正確ではない。
間違っている可能性もある。
元の場所、本来の場所に帰れる保証はない。
いや、むしろ帰らなくても良いのではないだろうか。
こんな果てにいるのであれば、生きているうちに元の場所、本来の場所に帰れるわけもない。
今いるこの果ての彷徨いを楽しむしかないのではないだろうか。
大人になったら型ができるものだと思っていた。
しかし、そんなものはないようだ。