水溜まり。

日々思ったことを書いてみる

宗教についての自分の考え

宗教についての自分の考えを語ってみました。

 

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宗教は怖いというイメージがある。

でも宗教というのは自分たちの日常にあふれているものだと思う。

というよりも無宗教という状態はあり得ないと思う。

無宗教という状態は全てを認知している状態なんだと思う。

例えば今でいう科学が全てを知っている状態。

 

「今は科学は一部のことしかわからない。でもいずれはわかる日が来る。全てを知ることができるようになったら、人類はみんな幸せになれる。」

ここに達すれば完全なる無宗教になりえると思う。

しかしそんなことはあり得るのだろうか?

 

今と昔の違い?

今は

「努力をすれば報われる」

「お金を儲ければ幸せになれる」

「悪いことしたら罰が当たる」

「みんなのために生きれば幸せになれる」

といった言葉がある。

とはいってもその言葉通り生きても幸せになれないし、悪いことが起こることもたくさんある。

 

昔は

「神に祈れば天国に行ける」

なんてことを当たり前に信じていたわけで。

でも神に祈ってもいいことなんてないわけで。

今は苦しくても、死んだら幸せになれる。

でもその死後の世界なんてだれも見たことないし、そもそも神様もみたことない。

神に祈っても幸せになれる人もいれば、不幸になる人もいる。

 

でも

「努力をすれば報われる」

「お金を儲ければ幸せになれる」

「悪いことしたら罰が当たる」

「みんなのために生きれば幸せになれる」

となにが違うのだろうと思う。

これらは科学で証明できる日がやってくるのだろうか?

努力しても報われない人もいるし、報われる人もいる。

お金を儲けても幸せになる人もいれば、幸せになれない人もいる。

悪いことして罰が当たる人もいれば、見過ごされる人もいる。

みんなのために生きても幸せになれる人もいれば、なれない人もいる。

 

それは神に祈る行為と何が違うんだろうと思ってしまう。

宗教と何が違うのだろう。

結局、僕らはなんだかよくわからない世界の中でなんかそれっぽいことを信じて生きていくしかない。

その内容は様々であって、特に教団があるわけではなく、教祖がいるわけでもなく、皆信者という自覚もないままただただ信じていくしかない。

その信じる内容はさまざまだけど、概ね一致していてその思想や考え方は「資本主義」とか「民主主義」とかの部類に入っているのだと思う。

 

宗教が必要な理由

人は自分の死を自覚している唯一の動物。

だからこそ「死ぬのになんで生きるか?」の理由を作らないとソワソワしてしまう。

そのソワソワ感を補う、補充するものが宗教であり、宗教が必要な理由なんだと思う。

だから、「宗教が怖い」とか言う言葉はいまいちしっくりこなかったりする。

なぜなら自分らも「死ぬのになんで生きるか?」の理由を解決できておらず、ソワソワ感の真っ只中にいるから。

そして、そのソワソワ感を補充している何かがあるはずだから。

だから、なにかしらの宗教を信じ、何かしらの信者であると思っている。

 

オカルト宗教が怖いのは僕らの常識とは別の世界に生きているから。

ソワソワ感の解決方法が異なるから。

僕らは多数派で、彼らは少数派。

オカルト宗教を擁護しているわけではなく、僕もオカルト宗教に勧誘されたくはない。

でも、彼らは彼らで本気でそれが正しいと思っているのだからどうしようもない。

ただ乗っている舟が違うというだけ。

僕らも今ある常識、思想が正しいと思っていて、それを崩すつもりはない。

というか崩れたら混乱、混沌の世界になってしまう。

それがいやだから、統合する必要があり、統一する必要がある。

 

今は僕らの考えが正しいと思っているかもしれないが、100年後、1000年後にはがらりと変わっているかもしれない。

人類の歴史は直立二足歩行してから約700万年。

700万年も生きてきたんだから、1000年なんてまだまだ余裕で人類は生きていると思う。

というか、700万年のうちの1000年なんて規模が小さすぎる。

1万年、10万年も未来があるわけで。

地球規模で考えたら秒でしかない。

 

だとしたら、今の考えなんて今の物でしかなくて。

でも僕らは今というのがどうしても最先端と考えてしまうわけで。

今が最高であってほしいと考える。

でも最高かどうかなんてわからない。

オカルト宗教の考えが1000年後には当たり前になっているかもしれない。

 

宗教は終わったのか?

僕は宗教というものはもう終わったものだと思っていた。

科学の時代になって、もう宗教というものはいらないものだと思っていた。

中には宗教を信じる人がいて、その人たちはもしかしたら危険な行動をするものだと思っていた。

 

でも、最近はどうも違うと思えてきた。

そもそも、自分自身、今何かを信仰して生きている。

その宗教は固定の名前があるわけではなく、様々だけど何かを信じて生きている。

そしてその人たちの中にも危険な行動をする人もいる。

地動説だって学校で習ったから、みんなが言っているから、NASAが宇宙に行っているからというだけで、信じているに留まる。

なぜなら実際に見たわけじゃないから。

だから、宗教というものはなくなっていない。

むしろ科学というのも宗教の一つでもあると思う。

なんなら「科学的に証明された!」という宣伝文句はそこら中にあふれているが、その科学的だってなにがどう証明されているのかわかったものじゃない。

宗教は終わっていない。

僕の生活の中の一部にひっそり生きている。

キリスト教とかイスラム教だって、科学がなかったころはそもそもそれが常識なのであって信じる信じないの話ではなかったんだと思う。

今、僕らが常識と思っているものと同じような感じで、神がいるということも「そういうことにしておこう」としたのだろう。

でないと「じゃあこの世界は何なの?」「俺たちはなぜ生きているの?」と説明できない。

ソワソワしてしまう。

ソワソワのために宗教はある。

ソワソワは科学でなんとかならない(今のところは)。

 

このソワソワ感がなくなる日が、宗教がなくなるときだ。