僕は特別な存在でありたいと願っているようだ。
僕はほかの人と違って特に不幸を良く感じるようだ。
だからほかの人と何かが大きく違っているのだと思っている。
思い込んでいる。
このことを大学の時に友人に話したらあきれられた。
「何を言っているんだ?みんな同じだ。おまえだけ特別なんてことあるか」
彼の言うことは最もだ。
僕はなにも大きく違いはない。
理屈はあっている。
しかし、もう一人の僕はそれを否定する。
「だとしたなぜ僕はこんなにも苦しいのだ?」と。
皆何も言わないのに、なぜ僕だけグチグチ悩んでしまうのか?
みんななぜ何も言わないのか?
彼らは何も感じていないのか?
しかしどうやら違うらしい。
皆感じてはいるが何も言わない。
言わない理由は人それぞれだろう。
言っても意味がない。言ったところで何も変わらない。
言うことによって周りに迷惑がかかる。
皆同じく苦しいのだけれども、みんな耐えているのだから、私も耐えよう。
そう思っているのかもしれない。
しかし自分はそれが信じられない。
こんなに苦しいのにみんなよく黙っていられるなと。
なぜみんな声を上げないのかと。
もしかしたら肌で感じてわかっているのかもしれない。
皆がみんな声を上げたら秩序が乱れる。
統合が保てなくなる。
混沌とした世界になる。
ああ、でもやっぱりこう感じてしまう。
「みんなそんなに大して問題は感じず、そんなに大して苦しいと思っていないのではないか?」
だからやっぱり自分が特別苦しみを感じてると思ってしまう。
良くないことだとはわかる。理屈はわかる。
しかし今になってもまだ僕は一人で勝手に騒いでいる。
この癖はどこからどうやってくるのか。
みやぞんなんかはこう言っていた。
「自分の機嫌は自分でつくる」
こんなことを言っているのはみやぞんだけではない。
いろんな人が言っている。
いろんな本がそれを物語っている。
その理屈はわかるが、一向に癖は治らない。
朝が辛い。
逆上がりの理屈はわかるが、逆上がりはできない。そんな感じ