僕の本棚はジャンルで分けるとこんな感じのが並んでいます
・死に関する系
・宗教系
・哲学系
・自己啓発系
・ホモサピエンス系
ホモサピエンス系だけ補足しておくと、人間の祖先(だいたい直立二足歩行以降)の歴史についての本になります。
人にお勧めできないというか、ダブー視されているものが多い。
正しいことなんて何一つ言えない
ちょいと前にこんな本を読んだ。
正義という名の洗脳 苫米地 英人
この本の前書きで
この世で絶対に正しいと言えることは何一つ存在しない
とあって僕自身もそうだとは思っています。
しかし、この「絶対に正しいと言えることは存在しない」というのはなかなかに不安定な言葉というか。
自分自身そう思っているものの違和感があったりする。
例えば「この世に絶対はある」といったらどうだろう?
これはそんなに違和感ない。
しかし、
「この世に絶対はない」
というと「この世に絶対はない」ということが絶対になってしまうのでパラドックスが発生することになる。
なので、「この世に絶対はない」ということはなく「この世に絶対はある」のだ!!
っとちょっと前まで自分は思っていました。
なんとなくだけど、科学というものを信じ、科学はいずれ全てを知ることができるというものを信じてました。
しかし、ここ最近はどうやらそうでもないようだと思うようになったのです。
なので僕は「この世に絶対はない」と思っています。
しかしこのままではパラドックスが発生してしまうので
「どうやらこの世には絶対はあるのだろうけど、人間はそこに辿りつくことはできない」
ということと考えるようにしました。
絶対はないということは正解もないということです。
正解がないので善悪もないです。
正しいも間違いもないです。
それってすごく不安定。
だから人間にはなかなか認められないものだったりする。
なにかしら解を求められる。
これが正解だ!と言わざるを得なくなる。
偉い人が今後の方針について語らせたら「わかりません」とか「そうですね・・・どうしましょうかね・・・」じゃすまない。
なにかしたら「こうしなきゃいけない!」「こうであるべきだ!」を出さないと先に進まない。
先に進まないとぼくらの資本主義、科学の発展は成り立たなくなる。
わからないでは済まされない。
だから解を出さないといけない。
なんかの台詞で
正しい判断をすべきで
誤った判断はよくない
でもなにも判断しないのは一番最悪
といった台詞があった気がする。
まさにその状態なんだと思う。
なので本当はみんなよくわかってないんだともう。
政治家も、専門家も、ジャーナリストも
みんなみんなよくわかんないけど「こうだ!」って決めつけないといけない。
そういう状況を迫られている。
そういった舟に僕らは乗っている。
降りてもほかの舟があるわけでもない。
あったとしてもその舟にはその舟なりの厄介ごとがあるのだろう。
「この世に絶対なんてないんだよ」という主張はあまりに弱い。
「よくわかんないんだから判断しないほうがいい」よりも、「あいつが悪い!この人は英雄だ!」と判断してしまうもので。
「いや、そうとも言い切れないよね」なんて言ってたら判断できずにどんどん時間が流れてしまう。
「こうである!」と言い切ってくれたほうがわかりやすい。
わかりづらいものは嫌われる。
わからない状態というのは厄介がられる。
わかったつもりの状態になりたい。
だから「そうとは言い切れない」なんてあいまいな言葉は超弱い。
メディアなんか絶対に使わない。
言い切らないと許されない、数字が取れない。
見てる人もそんなものを望んでいない。
この「絶対とは言い切れない」「正しいなんてない」という曖昧で不安定でふんわりとしたよくわらかない状態を受け入れて生きていく力は必要なんだろうなと思う。
仮に・・・
仮に全てを知り尽くしたとしたら。
この世の絶対がわかるようになったとしたら。
人間はどうなるのだろうか。
この世のすべてを知った。
全知となった。
そうしたら次に起こることがわかる。
全てわかっている。
明日の天気予報、来年の経済状況、今後の国際情勢、個人個人の幸福が全てわかる。
それがいつになるのか?
何千年、何万年先かもしれないけど、全知となった場合、人間がやることはなんなんだろう?
その時にAIなんて言葉はすでにないかもしれないけど、仮にAIが全てを教えてくれるのであれば、それに従えば必ず幸せが訪れるのであれば、人間はAIの家畜ってことになるんじゃないだろうか?
なんだかよくわからないけど檻の中にいれば飯がたらふく食わせてくれる。
そのまま生きていて繁殖も行われるような家畜として生きていくのではないだろうか?
なんて思ってしまう。