今日は結構エグイこと書いているので閲覧注意です。
人間は自然の一部
宇宙という鍋ができてその中の物をぐるぐるかき混ぜていたら、92億年後になんか地球ができて、その地球上でなんか46億年ぐるぐるかき混ぜていたらなんか人っぽいのができて700万年後くらいになんか農業始めだして、なんか科学が生まれて今に至る。
自動車を作れるのは人間だけだけど、物を作れるのは人間だけじゃない。
家を自分で作ってそこに住む動物だっている。道具を使う動物だっている。
となると、高性能なものを作っている違いがあるだけで、自動車も自然の一部としてみていいんじゃないかと思う。
なんか地球がぐるぐる回ってできた結果、あるとこでは川ができて、あるところでは森ができたけど、あるとこでは車が流れができていて、あるところではビルが建っている。
それを自然の一部としてみてもいいんじゃないかと思う。
ちょっと怒られそうなことを言うけど・・・
大規模な絶滅って地球で3,4回くらいあったらしい。
なので絶滅ってのは割かし自然の流れというか、掟というか、運命というか。
そんなもんだったりするのではないか?
なにか人間のせいで絶滅しているとかいうけど、人間も自然の一部なんだからそれは人間のせいなんじゃなくて、結局人間という自然によって起こされているものなんじゃないか。
そもそも人間ってそんなすごいもんなのだろうか?
地球を守ろうだなんていうけど、自然の極一部が何をいっているんだ?と思ってしまう。
かなりひねくれた考えかもしれないけど。
でも地球を守ろうなんてのはなんか偉そうというか、おこがましい感じがする。
人間が特殊な点
「神は、脳がつくった」という本があって、僕はこの本が好きです。
宗教に興味がある人にぜひおすすめしたい一冊。
そしてホモサピエンスに至るまでの人間の歴史も脳の作りと合わせて知ることができるのでとても面白い本。
この本でお気に入りの一文を引用。
『死 について わかっ て いる のは ヒト だけの よう なので、「 死 について の 理解 は、 ヒト に 特徴 的 な 性質 と 動物 の 存在 を 隔てる 違い として、 道具 作り、 脳、 言語 より はるか に 決定的 な 断絶」 だ と 言わ れ て いる。』
E.フラー・トリー. 神は、脳がつくった――200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源 (pp.198-199). ダイヤモンド社. Kindle 版.
これって面白いなと思う。
動物は「自分が死ぬ」ということを理解していない。
というよりもそもそも「自分」というものを認識していない。
チンパンジーは鏡を見て自分だと認識するらしいけど、それ以上に興味は持たない。
人間は自己に興味がある上に他者にも興味がある。
他者がどんな気持ちか知ろうとする。
そんな他者が死んだときどう思うか。
昔は人が死んでも埋葬するわけじゃなかったからそのまま腐っていくのを目の当たりにすることになる。
農業革命で定住するとなおさら死体を見ることになる。
そんな死体を見て「あれ、もしかして俺もこうなるんじゃね!?」って思った時点があったのだと思う。
それは静かに起こったと思うけど、革命と言ってもいいと思う。
それをこの本では認識革命と言っているのかな?
そうするとどうなるかというと死に対して恐怖を持つ。
死が怖くなる。
そのあと「死ぬのに何で生きているだろう」ということを徐々に思うようになったのだろう。
どうせ死ぬのであれば生きている意味がないのでは?
そんなわけで神を作って「俺たちは○○のために生きているだ!!」という教えができて、死を克服しつつも生きているんだろうなと思う。
てなわけで生きる意味を見つけるために、より良い理由を見つけるために、宗教が大きくなってその宗教をよりよく知ろうとしだして、改善して改善しようとしていったら、「あれ?なんか言ってること違くね?」の発端になったのが天動説→地動説。
科学がそこから発展していく。
科学は宗教から生まれた。宗教があっての科学。
そして「死ぬのに何で生きているだろう」を解決できていない科学。
その分野はいまだに宗教が担っている。