結論から言うとわからない。
いないという証明はできないからだ。
だからいると思っていても、いないと思っていても不自然な話ではない。
でもいるのだとしたら、完璧な神がいるのだとしたらなぜ不自然な人間を作ったのか。
といったありきたりなツッコミなんていくらでもあるだろうけど。
それでも昔の人は神を信じていた。
いや、信じざるを得なかったが正しいと思う。
いや、もっというと信じるとか信じないの次元ではなかったのだと思う。
なんか「常識」的な概念でそこに存在していたのだと思う。
だって、神がいないのであればこの世界は何なのだ?となってしまうから。
何で魚がいて、火が燃えて、リンゴができるのか。
この大地は何なのか、空は何なのか、あの山は何でできたのか。
今は様々なものが科学で説明できるようになったけど、そういったものがない時代では神という一言で説明つくのだからとても便利だったのだと思う。
そうでもしないとやってられないというか、「じゃあ、神がいなかったら、いまここにあるものは何なんだよ?」が説明できない。
説明できないものというのはいつの時代も弱い立場なものだ。
特に人間にとって。
それは今も昔も同じだと思う。
説明というか納得感があればそれでいい。
科学で説明できるようになったといったが、それも「納得感がある」というだけで説明には至っていない。
現に僕は地動説だと思っているが、なぜ地動説なのか説明できない。
せいぜい学校で習った、みんなそういっているからという程度だ。
雷もそうだ。
あれがなんで光って大きな音を立てているのか。
雷を知らない人に綺麗に説明できる自信はない。
だからといってなんでもかんでも説明できるようにならないといけないわけではない。
それは不可能だから。
人は納得感が欲しいのだと思う。
それが真実とか本当はどうでもいい。
みんなが言っていればそれが正解で、時代とともに変わっていく。
そんなフワフワとした舟に乗って将来のことを不安に思っている。
神はいるのかいないのか。
いるとも言い切れないし、いないとも言い切れない。
そんなことよりも大事なのは「常識」といったような概念だろうと思う。