水溜まり。

日々思ったことを書いてみる

「死ぬ練習」南直哉

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この本めちゃめちゃ良かった。

 

最近は死に関する本をいろいろよんでいるけど、その中でも、いや本の中全体で考えても面白かった本である。

 

特に以下の内容。(一部を抜粋)

仮に我々がしなないのなら「まだしていないが、しなくてはいけないこと」はなくなる。すべては「いつしても良いけれど、しなくてもよい」ことになる。そうすると一切のなすべき価値は無化していく。時間は全て現在で回流し続ける。

死に関する本はいろいろ読んでるけど、この考え方は今までなかったな。

死というものがなくなると、時間というものが無くなる。

死があるからこそ未来というものがある。先がある。

死がなくなると未来というものがなくなる。

 

死というものがあるから生がある。

ということは、死がなくなったら生もなくなることになる。

 

そうなると不死というものが怖くなった。

不死になったらどうなるか。

僕は人間は死があるからこそ生きている価値を見出すものだと思っている。

死についていろいろ考えていくと「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いにぶち当たる。

今はどうせ死ぬけど生きた証とか生きる価値とかそういうものを作って生の価値を見出そうとしている。

逆に言うと人は死ぬから生きる価値というものを見出せる。

 

ということは死なないとなった時に、なぜ生きているのか?ということも考えなくなる。

生きている間に生きている価値を見出そうだなんて思わなくなる。

だって死ななないんだからいつでもその生きている証とか生きている価値とかいつでも作れちゃう。

いつでも作ろうと思えば作れるのだから作ろうともしない。

生きている価値を作ろうとするのは死ぬからである。

 

生と死は平行に存在するというのも面白い考えである。

死というのは概念だから生きている間に存在する概念である。

死後の世界があるので有れば、それは死んだということにならない。

死後の世界があるのであれば、死ぬことに心配はない。

 

天国があったところでどうせ飽きる、地獄があったところでどうせ慣れるということが書かれていて笑った(笑)

南直哉の書く内容にはこういったことが書かれているのが面白い。

この1冊でファンになってしまった。

 

そんなわけで早速他の本も読んでみたりしています。

books.rakuten.co.jp

この本の前半で恐山での経験を話すところがあり、いろんな訪問者の話をしていく。

その一つでこんなことが書かれていた

65歳の女性が訪ねてきました。「先生の著書は全て拝見しています。」というからまともじゃないと思った。

思わず笑ってしまった(笑)

何がすごいってその前後に「読んでもらってありがたいと思うが」のフォローなどもいれないことだ。

「まともじゃない」だなんて余計な一言を入れてしまう感じがとても好きです。